大村湾は湖です。焦茶猫のよろずや商店大福帳

「でいご」の花の間を往く戦艦「土佐」?↓
↓バグのようですが,面白いので放っておきます。
戦艦「土佐」型島

三菱の方

さあ,みんなも裁判員2008年05月23日 19時09分01秒

あと1年で裁判員制度がいよいよスタートするそうですね。
裁判員制度の理念自体は,わかる気はします。
「それでも僕はやっていない」でしたっけ,ああいうのを見ると気持ちはわからないでもない(もっとも,もっと重大事件じゃないと裁判員向けの事件にならないでしょうが・・・)


でも,いざ裁判員をやってみろって言われても,やりたくない人は多いんじゃないですかね?


この制度もそうなんですけど,国民個人個人を巻き込む制度なのに,出来上がるまで一般国民に何の話題にも昇らず,選挙の争点にもならないでいつの間にか決まってしまうということが多いような気がします。
制度を作ろうとしていた人たちも,霞ヶ関や永田町に対しては,法案化のために制度の必要性をアピールしたとは思いますが,それと同等のアピールを現実に駆り出される立場にある人たちに説明したんですかね?


出来てから,「さあ,こんな制度が出来ました。これは国民の義務です。喜んで参加しましょう。」
みたいなことを言われても,「なんじゃそりゃ?」って感じになるのは仕方ないと思います。
たぶん,これが裁判員制度に対する国民受けの悪さの大きな要因の一つになっているんじゃないですかね?
「何でこんな制度が必要なの?」「なんで今こんな制度導入するの?」

この説明がなければ,「アメリカが導入しているから真似したんじゃないの?」
なんて誤解されても文句は言えないと思います。


やっぱり,当初から説明する方向がよくなかった。早急に事を進めようとし過ぎたのではないでしょうか。。。


それで,先日,テレビで,「弁護士は民事を多くやっている人が多くて刑事を専門にする人が少ないから裁判員制度が始まると弁護士が足りなくなるのではないか」なんて言っている人がいました。



刑事の弁護人が足りないのは,それを専門にやると採算が取れないからです。
もし採算をとろうとすれば,国選報酬の値上げが必要になります。
その財源は?
もちろん税金でしょう。


それに耐えられるのか?これも本来であれば議論が必要なところです。
採算の取れないところに,人は集ってきません。


お金を稼げない人に,ボランティア(無償奉仕)やってと頼んでも,そりゃ無理でしょう。
ボランティアは確かに高尚ですが,人に押しつけるものではありません。
それに見合った対価。労働に比例した対価。これも等価交換の一種だと思います。
本業があるからボランティアができるはずです。
本業がボランティアという人は,まずいないと思います。


まあ,とにかく,裁判員制度は,理想は高尚だけど,いかんせん理想が先行しすぎているような気がします。


「我は,裁判員制度である。我は作られた。さあ,我に奉仕せよ。」
「裁判員制度くん?なんなんっすか?い・いきなり・・・僕らにだって都合ってもんがあるんですけど・・・」
「つべこべ言うな!!我は高尚な制度である。我に協力するのは国民・弁護士・裁判官の義務である。奉仕できる栄誉にあずかれるんだ。ありがたく思え。」
「そ・そんな~」
「日当も与えてやるぞ。嫌とは言わせん。」
「そんな無茶苦茶や~。」


残念ながら,国民から見れば,現状はこんな感じじゃないでしょうか?



そういえば,大昔にも理念だけは素晴らしい制度がありましたね。
なんて言いましたっけ?


そう・・・

「生類哀れみの令」(この名称そのもの令はなかったそうですが。)


動物愛護の法ですよ。理念は大賛成です。


今回の裁判員制度も,必ずしも制度そのものに反対というわけではなく,むしろ個人的には理念は賛成なんですが・・・。
少々焦りすぎというか,早急に事を進めすぎな気がします。