大村湾は湖です。焦茶猫のよろずや商店大福帳

「でいご」の花の間を往く戦艦「土佐」?↓
↓バグのようですが,面白いので放っておきます。
戦艦「土佐」型島

三菱の方

懐かしい。2016年02月11日 23時18分57秒

清原について、


パ・リーグファンで、西武ファンだったから思い入れが昔はあったなあ。


入団後は、前半は、最初は印象的だったけど、徐々に対応できなくなってきて、
「もう少しじっくり育てた方が良いのかなあ」
と思っていたら、夏場から大爆発して、これはスゲーって、現役を知らないONでなくて、これからのスターだって、ワクワクさせられた。


今見ても、このころのフォームって自然体というか、柔軟で柔らかい。


2年目は、ジンクスっぽくなったけど、3年目からは、毎年少しづつ成長して言って、これから世紀のバッターになるのは確実と思っていた。


5年目は、ついに開花したと思った。
8月にホームラン単独トップ(今でも覚えている)。このペースなら40本は確実、いや45本は行けると誰もが思った。

9月は、優勝がほぼ決まって、タイトルを意識したのかホームラン狙いがペースを崩して(このとき、解説者は優勝が決まってチームバッティングをしなくていい、相手投手も四球を与える必要がなくなるから、ホームランが増えると言っていたが、逆に緊張感がなくなってタイトルへのプレッシャーが表に出るから逆にならないか不安があって、これが、的中してしまった。)、絶不調になりタイトルを逃したけど、今年の活躍を見れば、もうタイトルはいつでもとれると思った。


転換期は、翌年だと思う。

この年からか、あと一歩で届きそうなホームランを意識したのか、徐々にフォームを崩していった感がある。
よく覚えていないが、落合風の神主打法が目につくようになったのはこのころかと思う。これがはまることもあったが、嵌らなくなったときに以前より不調期が長くなった。

7年目は成績が復活したが、5年目ほどの印象は正直ない。でも、この年までは、しなやかさも残っていたし、まだ、期待を持てていた。

この年以降、徐々に、変わっていた気がする。

上半身の筋力が付きすぎたのか、フォームが固くぎこちなくなる。

打ち終わった時の、形が、スキージャンプのテレマークみたいに思えたので、勝手に「テレマーク打法」と名付けていた。
しなやかさがなくなって、当たった時の飛距離は出るのだが、とても打率は期待できないし、同時に、チャンスに徐々に強いという印象がなくなっていった。

西武晩年は、昔のような期待感が無くなり、チャンスに弱いのではないのかとすら思いはじめていた。試合でブレーキになるケースも増えていった。

FAで読売にいくとなったときも、正直、絶対に惜しいというより、

「仕方がないか」

という感情が湧いたのを覚えている。チャンスに強くないし、不調期が長い。四番としては、正直、これを期に代替わりを検討した方がいいのではないかと思ってしまった。

マスコミは、相変わらず、西武全盛期の7年目以前の印象をもとに、スーパースターが読売にとか盛んに煽っていたが、

「相変わらず、こいつらパ・リーグ見てないな」

と思った。

読売1年目も、いろいろマスコミや読売ファンが叩いて、期待外れとか、読売に来たプレッシャーとか書きまくっていたけど、西武晩年期を見ている人から見れば、


「むしろ新天地で頑張っている」


と思ったんだけどね。


なんていうかな。
昔のしなやかさを保って、バランスよく鍛えていてくれれば、西武晩年期みたいなことにならず、もっと活躍して、充実した選手生活を終えていたのかもしれない。

まあ、タラレバだけど。

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