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「でいご」の花の間を往く戦艦「土佐」?↓
↓バグのようですが,面白いので放っておきます。
戦艦「土佐」型島

三菱の方

奥州合戦に関するif2016年01月01日 00時00分00秒

この前、平泉に行ってきたこともあって、最近、吾妻鏡とか読んでみて、奥州合戦って、なんであんなに、簡単に奥州藤原氏が滅んだんだろうって疑問に思った。
そこで、いろいろ奥州合戦のifを考えてみました。


まず、史実なんだけど、

奥州があっさり負けた理由としては、たぶん、

阿津賀志山の戦いの奥州勢の戦力は、史実よりも、かなり少なかったんじゃないかな。勝者は、敗者を大きく見せて、それを破った俺たちスゲーって記録に残す傾向にあるというのもあるけど、阿津賀志山の防御は、強固そうだ。ここが簡単に落ちるというのは(簡単に堀を埋められた理・・・)、人数不足が主要因じゃないかな。2万はない。数千か?


その原因は、泰衡が後継者として奥州を掌握しきれていなかったこと。内紛を治める前に頼朝が来てしまい、戦力も士気も十分ではなかったというのが真相かと思います。


ここでの敗戦以降抵抗がほぼなくなっているのも、これを裏付けているかと。


防御に適した箇所が阿武隈川が狭まったここしかないという理由もあるでしょうが、いくらなんでも無抵抗すぎます。地形にたけた奥州勢なら、戦力があれば反転して、都を守るため一戦交えるのが普通でしょう。川だって利用できますし。
泰衡が無抵抗で逃げたのも、戦力がなかったからで、平泉を捨てて北へ逃げたのも戦力をなんとかき集めるため。


頼朝もこのタイミングを待って攻めていますし、まあ、わかっていたのでしょう。


ここで、
IF①:秀衡が生きていたら
この場合、奥州勢はまとまっていますし、士気も万全です。奥州17万騎(誇張でしょうが)がフルに活用できます。

頼朝が攻めても、要害で持ちこたえて、いい勝負になったと思います。
浜通りルートと出羽ルート(特に浜通り軍)の頼朝軍の数がわからないので、こちらがどうなったかわかりません。勝って、浜通り軍が背後から奥州本軍を挟み撃ちにできるか、それとも、敵陣奥深く入ることを恐れて、慎重になり頼朝本軍の戦力にはならないか。
秀衡が浜通り諸勢力を掌握していれば、本軍ほどの数がいない浜通り軍は、苦戦する可能性もあります。

いずれにしろ、相当リスキーです。これに、義経がいたら相当やばい。


頼朝も、秀衡存命中は、奥州には手を出さなかったと思います(義経潜伏を知ったのは秀衡の死後らしいですが)。


その場合、選択肢は、
秀衡の死を待つ。
ですが、想定以上に長生きした場合は、戦はしかけずに、豊臣政権が大大名にしたように家臣として取り込む選択肢はあったと思います。
義経の扱いは厄介ですが、宣旨もありますし、許すことは難しいので、あるとしたら、見なかったことにする可能性のほうが高いかと思います。
もっとも、秀衡が敵対姿勢をとった場合は厄介ですが・・・。そうなったら、決戦もあるあるかもしれません。


いずれにしろ、この場合、秀衡が死ねば、史実と同じになった可能性は高い。頼朝もその後の北条政権もこの期を逃さず、後継争いに介入して、義経を追い込むと同時に、弱ったところを攻め込み勝利する可能性が高いと思います。


IF②:秀衡の死後、義経が殺されなかったら
この場合で、頼朝軍が史実通り奥州合戦に突入した場合です。
この場合、
奥州側の要因としては、
史実より、内紛がなく戦力を集められ士気が高まる(秀衡が反義経にならないという意味。)。
義経の平家を滅ぼしたというカリスマ性からも統率が上がる。
阿津賀志山のように、地形を生かせる戦地は義経の得意とするところと思われ、攻撃力防御力とも飛躍的に向上する。


頼朝側も
義経の戦上手は知られており、潜在的な畏怖を感じるはずです。これは、いざ奇襲されたとき恐怖が倍増されますので、軍の崩壊を加速させる危険があります。
敗戦するか、良くて、手が出せない状態になるか。奇襲が得意な義経のことだから、先陣が敗戦して戦線を後退させる可能性が高いか。
頼朝本軍が敗れれば、他の道の軍は、士気も下がるし孤立を恐れて後退せざるを得ないと思う。


そうなると、頼朝軍が阿津賀志山を越えられない可能性が高く、戦線が膠着します。膠着すると危険なのは、離反です。佐竹辺りは不穏ですね。
その後は、義経も政権ビジョンがあるわけではなく、将軍であっても王侯タイプではないので、頼朝にとって代わることはないと思います。泰衡も奥州以南に攻め込もうとまでは思わない。佐竹が奥州を利用して、独立勢力になるかくらいでしょうか。
そうなると、あとは外交戦になりますかね。戦っての膠着の場合、秀衡存命パターンとは異なり、朝廷の仲介により兄弟和睦もあるかもしれません。和睦後は、頼朝は西国の掌握に集中してしばらく平穏になるかな。形式上は、頼朝を主として鎌倉幕府に従属する形になり、真の決着は、後世に持ち込むでしょうね(奥州の後継者の能力次第)。


そうそう、義経が長生きした場合、源氏将軍は残ったかも。
鎌倉に源氏がいなくなって、奥州に源氏の正統がいるって(しかも敵対勢力)、まずいですよね。さすがに、こうなると義経も源氏の正統である自分が将軍になるのにふさわしいって思うかもしれません(この場合、割れているのは鎌倉側なので、鎌倉側が一枚岩になれずに負ける可能性もある。足利・新田といった源氏が義経についたとしたら・・・)。
鎌倉に源氏がいるから義経も自制するのでしょうし、このころは、鎌倉幕府も形になっているので、ビジョンがない義経でも幕府のシステムを継承することくらいはできるかもしれません(義経も年齢を経て大人になっているでしょうし)。


そうすると、そうならないために、頼家が殺されず一幡が3代将軍になるか、実朝をつないで、実朝に実子がなければ、一幡が継ぐか。仮に僧籍にない頼朝直系が絶えても貞暁を全力で説得するかどこかの源氏を養子に持ってくるんじゃないでしょうかね。IFの選択肢は尽きませんね。貞暁も、野心を疑われていた史実とは違って、この場合、北条らは将軍に真に源氏の血を欲しているわけだから、断らない気もする。


IF③:平泉陥落後、逃げてる途中に秀衡が家臣に殺されなかったら。
北海道に逃げる予定という話もありますが、どうでしょう。
奥州藤原氏は、蝦夷島にまで勢力があったのでしょうか。
とりあえず、津軽地方で戦力を集めて抵抗を試みるんじゃないでしょうか。
冬が来て、一時休戦までは持ち込めたか。

で、その後の結果は・・・まず、秀衡は負けるでしょう。
本拠地も取られた上に、奥州を掌握できていないのですから。
津軽の兵力だけで鎌倉に対抗するのは、ちょっと、無理です。
秀衡のカリスマ性で、奥州他地域が蜂起するとも考えにくい。秀衡には時間がなさ過ぎた(与えられなかったんだけどね)。


そして、蝦夷島に逃げて、そこで勢力を維持する。


これは、やって欲しかったかも。
なんでもいいから、蝦夷の開拓を早くしてもらいたかった・・・。
で、蝦夷、樺太、千島の支配権を朝廷に認めてもらって、大陸と交易をして、ちょこっと朝廷に朝貢でもしつつ独自勢力として維持する。
遠すぎて、これはさすがに頼朝政権も手が出しにくいかな(圏外)。
(飛躍しすぎな気もするけど)北方開発ですよ。