「でいご」の花の間を往く戦艦「土佐」?↓
↓バグのようですが,面白いので放っておきます。

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維新の二人 ― 2008年07月08日 18時51分12秒
東京の名所シリーズ。
浅草,江戸城に続く第三弾。
後付けでシリーズ化してしまいました。
東京も普段は気づかないけれども,歴史的な名所がいくつもあります。
観光地としてみてみると,意外と知らないものが見えてきます。
今回は,明治維新の立役者,二名。
同じ薩摩藩士で,倒幕,新政府樹立と活躍したものの,後に意見が分かれて,戦うことに・・・。
西郷隆盛と大久保利通です。
まず,有名なのは西郷隆盛。

上野の西郷どんとポチ・・・だとずっと思っていましたが,ポチじゃないそうです。
なぜか上野にまで銅像が建つなど,新政府と対立する立場にあったのに,大人気です。
ただ,銅像の顔は,西郷隆盛に全然似てないそうですが・・・。
西郷役の俳優が銅像に似せようとしているのは,全くの間違いなのか。。。
浅草と同じく,ずっと東京に住んでて,この銅像のところに行ったのは,初めてでした。ようやく場所がわかりました。
上野が初めてというわけでもないんですが・・・今まであまり興味がなかったんでしょう。
他方,大久保利通。
明治新政府で組織の礎を作ったのは大久保利通。
ですが,人気の方はイマイチです。
彼が,紀尾井坂で暗殺されたことさえ知らない人も多い。
その紀尾井坂ですが・・・

坂にはシンプルな案内板しかありませんでした。
しかも書いてある内容は,紀州藩と尾張藩と井伊藩で紀尾井坂。
紀尾井坂の変は,今の紀尾井坂と違うところなのか?と思ったくらいです。
紀尾井坂は,四ッ谷駅から線路沿いに上智大学の方に歩いて道なりに曲がっていくと着きます。
ホテルニューオータニが目の前に見えるのですぐわかると思います。
坂を下りて右に曲がると清水谷公園という,小さい割にうっそうとした公園があります。ここに,冒頭の
右大臣大久保公哀悼碑
があります。字が読めるかと思って冒頭に写真を置きました。
こんなのあるなんて,全然知りませんでした。
この目だたなさは上野の西郷像とえらい違いです。
紀尾井坂の上の方の先には赤坂御用邸がありますが,霞ヶ関の自宅から当時仮皇居だった赤坂御所に出仕する途中に襲われたそうです。行ってみると地理的環境がよくわかります。
薩摩でも大久保公は人気がないそうで,日本人の判官贔屓は相当なもののようですね。
新しい体制を作るために強引なこともせざるを無かったために嫌われたのでしょうか。
質素な人だったそうで,本人は俗世の人気には興味が無く悪役になっても本望と思えるような人だったんじゃないかなどと勝手に想像してしまいました。
東京を見直すためにも,この企画をシリーズ化しようか・・・。
次は,神田近辺にでも行ってみようか。
(それにしても日曜日は暑かった・・・)
浅草,江戸城に続く第三弾。
後付けでシリーズ化してしまいました。
東京も普段は気づかないけれども,歴史的な名所がいくつもあります。
観光地としてみてみると,意外と知らないものが見えてきます。
今回は,明治維新の立役者,二名。
同じ薩摩藩士で,倒幕,新政府樹立と活躍したものの,後に意見が分かれて,戦うことに・・・。
西郷隆盛と大久保利通です。
まず,有名なのは西郷隆盛。

上野の西郷どんとポチ・・・だとずっと思っていましたが,ポチじゃないそうです。
なぜか上野にまで銅像が建つなど,新政府と対立する立場にあったのに,大人気です。
ただ,銅像の顔は,西郷隆盛に全然似てないそうですが・・・。
西郷役の俳優が銅像に似せようとしているのは,全くの間違いなのか。。。
浅草と同じく,ずっと東京に住んでて,この銅像のところに行ったのは,初めてでした。ようやく場所がわかりました。
上野が初めてというわけでもないんですが・・・今まであまり興味がなかったんでしょう。
他方,大久保利通。
明治新政府で組織の礎を作ったのは大久保利通。
ですが,人気の方はイマイチです。
彼が,紀尾井坂で暗殺されたことさえ知らない人も多い。
その紀尾井坂ですが・・・

坂にはシンプルな案内板しかありませんでした。
しかも書いてある内容は,紀州藩と尾張藩と井伊藩で紀尾井坂。
紀尾井坂の変は,今の紀尾井坂と違うところなのか?と思ったくらいです。
紀尾井坂は,四ッ谷駅から線路沿いに上智大学の方に歩いて道なりに曲がっていくと着きます。
ホテルニューオータニが目の前に見えるのですぐわかると思います。
坂を下りて右に曲がると清水谷公園という,小さい割にうっそうとした公園があります。ここに,冒頭の
右大臣大久保公哀悼碑
があります。字が読めるかと思って冒頭に写真を置きました。
こんなのあるなんて,全然知りませんでした。
この目だたなさは上野の西郷像とえらい違いです。
紀尾井坂の上の方の先には赤坂御用邸がありますが,霞ヶ関の自宅から当時仮皇居だった赤坂御所に出仕する途中に襲われたそうです。行ってみると地理的環境がよくわかります。
薩摩でも大久保公は人気がないそうで,日本人の判官贔屓は相当なもののようですね。
新しい体制を作るために強引なこともせざるを無かったために嫌われたのでしょうか。
質素な人だったそうで,本人は俗世の人気には興味が無く悪役になっても本望と思えるような人だったんじゃないかなどと勝手に想像してしまいました。
東京を見直すためにも,この企画をシリーズ化しようか・・・。
次は,神田近辺にでも行ってみようか。
(それにしても日曜日は暑かった・・・)


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