「でいご」の花の間を往く戦艦「土佐」?↓
↓バグのようですが,面白いので放っておきます。

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古代史、勝手に解釈~紀元前 ― 2011年02月15日 18時48分58秒
・紀元2000年くらい前
もともと住んでいた人もいるだろうが、日本列島には、常に朝鮮半島や長江周辺から絶え間なく人が流入していたのだろう。
朝鮮半島からは、島影を見て、長江周辺からは、黒潮に乗って継続的に人が来たと思う。
前者は、距離的に近いこともあり密な交流があったろう。同じ地域という意識もあったのではないかな。後者に関しては、距離も長いし、潮の流れにも逆らうしで、かなり片道切符だったのではないかな。もう帰れない帰らない覚悟だったんじゃないかと思う。
そのために、中国南部渡来の人たちは、おそらく、早い段階から根拠地とはもはや「違う地域」として独立意識が芽生えたのではないかと思う。
もともと住んでいた人もいるだろうが、日本列島には、常に朝鮮半島や長江周辺から絶え間なく人が流入していたのだろう。
朝鮮半島からは、島影を見て、長江周辺からは、黒潮に乗って継続的に人が来たと思う。
前者は、距離的に近いこともあり密な交流があったろう。同じ地域という意識もあったのではないかな。後者に関しては、距離も長いし、潮の流れにも逆らうしで、かなり片道切符だったのではないかな。もう帰れない帰らない覚悟だったんじゃないかと思う。
そのために、中国南部渡来の人たちは、おそらく、早い段階から根拠地とはもはや「違う地域」として独立意識が芽生えたのではないかと思う。
このころから中国で文明が生じ、国家が発展して行くに従って、今までと異なり権力闘争や戦に敗れたりして、ある程度まとまった集団が列島に来て、文化や農耕技術もそれに伴い流入していったのでしょう。
そこそこのまとまった集落がボチボチ出来はじめていた頃だろう。
政治的組織的ムラが出来てきた頃だろう。
ちなみに朝鮮半島から来た人は、まず九州北部に、中国南部から来た人は、九州南部に定着したんじゃないかな。後者は隼人の起源だったりして。
青は朝鮮半島経由
赤は中国南部経由
・紀元前300年以前ころ
このころ大陸では、長江以南を支配していた呉と越が滅亡する。
この滅亡という一大事に、国を追われて中国南部から、ある程度まとまった数が列島に来たと思う。国が滅亡すると一族滅亡の危機にさらされるわけですから、とにかく逃げようとする人は出てくるはずです。
他にも今で言うボートピープルのような感じの難民も多数いたはず。
まとまった数が来たことで、小国家ができるようなったと思う。
とりわけ呉や越といった国を持っていた人たちだから、新天地でもそれなりの行政機構は作ろうとしただろう。王族に近い人物を中心として、いくつかの集団にまとまった可能性はかなりある。
ある程度の身分のある人なら家人、家来から兵士にいたるまで、数十人から数百人単位で来てもおかしくない。
当然、その国の将軍の家系も居ただろうし、部下もいる武器もある。
国の礎を作るには十分すぎるメンツでしょう。
魏志倭人伝の倭人の格好は中国南部の人(当時は、夏人つまり中国文明圏の人とは異質の半分異民族と見られていたようです。)に似ている気がするので、いろいろな勢力を背景とする人たちが交流する課程で一部残存したのかとも思う。
とりわけ呉や越といった国を持っていた人たちだから、新天地でもそれなりの行政機構は作ろうとしただろう。王族に近い人物を中心として、いくつかの集団にまとまった可能性はかなりある。
ある程度の身分のある人なら家人、家来から兵士にいたるまで、数十人から数百人単位で来てもおかしくない。
当然、その国の将軍の家系も居ただろうし、部下もいる武器もある。
国の礎を作るには十分すぎるメンツでしょう。
魏志倭人伝の倭人の格好は中国南部の人(当時は、夏人つまり中国文明圏の人とは異質の半分異民族と見られていたようです。)に似ている気がするので、いろいろな勢力を背景とする人たちが交流する課程で一部残存したのかとも思う。
中国南部の人たちは、造船技術、操船技術もあったろうから、黒潮に乗って九州南部から土佐、熊野、最終的には関東の香取海あたりまで来たんじゃないかな。
新天地が、どのくらい広い土地なのか、どれだけ豊かなのか興味のあるところだろう。
新天地が、どのくらい広い土地なのか、どれだけ豊かなのか興味のあるところだろう。
同時に、このころ朝鮮半島では三韓が形成されたようなので、そのまま九州北部に来る人も多かったのだろう。
まず来たのは、馬韓の百済の素となった人々かな。
彼らは、壱岐、対馬を介して半島の同族と交流を持っていたのではないかと思う。
距離が近いので、往来はかなりあったと思う。
そして、半島の南の陸地の話は他の地域の人にも情報として伝わったろう。
辰韓(後の新羅)の人もこれを聞いて海に進出したのかもしれない。
九州北部は、既に百済系の人が住んでいるから、行き先は、対馬海流に乗って、中国地方の日本海側。
そう、出雲地方かな。
出雲に新羅から土地を持ってきたという神話がありますよね。これは、新羅から入植したことを示しているのだと思います。
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